オバQは小田急線で生まれた!? 〜誕生秘話

 藤本弘先生(故・藤子・F・不二雄)安孫子素雄先生(藤子不二雄A)は悩んでいた。少年サンデー次号より新連載のオバケを主人公としたマンガのタイトルが決まっていなかったからである。「オバケの○太郎」にすることまでは決まっていたが、○に入るいい文字が見つからない。気分転換に古本屋をひやかしているときに、ふと安部公房の本をペラペラとめくってみた。すると、目の中に『Q』の文字が飛び込んできた。「これだ!!」

 こうして、『オバケのQ太郎』というタイトルが決まり、そのイメージから主人公となるオバケをデザインしたのである。いくつか候補はあったが、最終的にペンギンをモチーフとした、おなじみのオバQが決定した。タイトルも主人公も決まった。しかし、ストーリーやサブキャラなどはまったく決まらない…。時間だけが刻々と過ぎていき、そしてついに締切りの当日となってしまった…。

 その日、藤子不二雄両氏は「スタジオ・ゼロ」へ出勤しようとしていた。足取りは重い。二人が住んでいる川崎市から中野にあるスタジオ・ゼロまでの通勤電車の中、正太、伸一などのキャラを考え出した。正太は石森章太郎氏(故・石ノ森章太郎)、伸一はラーメンの小池さんのモデルとなった鈴木伸一氏の名前から拝借したそうだ。そして、駅からスタジオ・ゼロへ行く途中、子供たちが忍者ごっこをしているところを見て、第1回のストーリーを思いついたのである。ちなみに、二人がスタジオ・ゼロまで通勤に使っていたのは、偶然にも「小田急線」だった。まさに、オバQは小田急線の電車の中で生まれたのだ。

 かくて、『オバケのQ太郎』は、「週刊少年サンデー」 1964 年 6 号より連載されたのである。

オバQ 不死鳥伝説 〜どん底から社会現象へ

 実は、当初藤子両先生は『オバケのQ太郎』にあまり乗り気ではなかったらしい。そのせいか、連載もわずか 9 回で終了となる。しかし、終了後しばらくしてから読者から大反響があり、「週刊少年サンデー」 1964 年 24 号から連載再開となった。今までそこそこのヒットは飛ばしてたものの、代表作品のなかった藤子不二雄先生を一気にメジャーへと押し上げた。オバQは『おそ松くん』『伊賀の影丸』と並ぶサンデーの人気漫画となった。オバQ伝説の幕開けである。

 年は明けて 1965 年、1 月から小学館の学習雑誌(小学一年生〜小学六年生)でも同時連載されることとなった。そして、同年の夏休みも残りわずかのある日。伝説が始まった…。

 「Q・Q・Q〜! オバケ〜のQ !! 」の歌と共に、 1965 年 8 月 29 日、東京ムービー制作、TBS 系で放映開始。『オバケのQ太郎』は藤子不二雄作品初のアニメ化となった。視聴率は初回から 30 %を超えた。ビデオリサーチによると、初回の視聴率は関東= 31.5 %、関西= 34.6 %だったという。まさに「オバケ」番組であった。ちなみに、この数字は当時放映中だった「鉄腕アトム」とほぼ同じ。オバQの人気のすごさが伺える。テレビとの相乗効果で、人気はとどまるところを知らず、キャラクター商品は飛ぶように売れ、漫画の方も最高で週刊 1 本、月刊 10 本、月刊不定期 1 本、月刊 1 コマもの 1 本と、約 13 誌に同時連載されていた。

 大人気のオバQはやがて社会現象にまでなる。新聞、雑誌でも取り上げられ、白布を顔にかぶっていた強盗犯が『オバQ強盗』と呼ばれる事件もあった。また、残念なことにオバQの真似をしようとして、スーパーのビニール袋を頭からかぶった幼児が窒息死するという傷ましい事件も起きた。

 しかし、暗いニュースばかりではない。主題歌の『オバケのQ太郎』は 1966 年度のレコード大賞童謡賞を受賞『オバQ音頭』も盆踊りのシーズンには欠かせない曲となった。また、テレビのスポンサーの不二家は、「オバQといっしょにケニアに行こう ! 」というキャンペーンを実施、原作者の藤子不二雄両氏は、ファンの子供たちと一緒にキリマンジャロのふもとでオバQ音頭を踊った。当時は海外渡航が解禁になってまだ 2 年しか発っておらず、海外旅行は夢のまた夢だった時代である。このような時代に海外旅行をプレゼントする不二家も凄いが、それだけオバQ関係のグッズが売れていたということであろう。

 初代アニメ「オバケのQ太郎」放映開始から1年半。いつまでも続くと思われたオバQブームも、やがて終焉の時を迎えようとしていた…。

そして連載終了 〜 藤本先生、不況の時代へ

 「新しいキャラクターを作って欲しい。」 1966 年末、小学館が新しいキャラクター作品を依頼してきた。未だオバQは人気も高く、作者としては未練はあったものの、オバQの連載を終了させた。新連載として「パーマン」を開始する。アニメは依然として好視聴率を保っていたが、最大手のスポンサーである不二家は、オバQ商品の売れ行きの低迷を理由に 1967 年 3 月末でTVアニメを終了させた。後番組も,漫画と同じく「パーマン」である。アニメ「オバケのQ太郎」の最終回にパーマンがゲスト出演していたことは、一部で有名である。こうして、空前のオバQブームは幕を閉じることとなった。

 その後、1969 年に虫プロ商事より初の「オバケのQ太郎」の単行本化はしたものの(※現在絶版。稀少価値のため、かなりの高額で取り引きされている。1冊1万はくだらない。)。このころ、新連載であった「ドラえもん」も好調な滑り出しを始めたこともあって、再度のアニメ化になるまでオバQはしばらく影を潜めることとなる。

誰もが知ってるオバQワールド

 1971 年のまだ残暑が厳しい頃、「オバケのQ太郎」は再びアニメ化された。今度はカラー作品としてである。タイトルは『新オバケのQ太郎』。前作に比べ、作画もぐっと良くなり、原作に近い絵柄となった。また、O次郎もレギュラーに加わり、おなじみの顔がはじめてそろったのがこの作品である。おそらく、30代後半以上の方は、オバQといえばこの作品を思い浮かべるであろう。

 ドジで多食いのQ太郎、バケラッタのO次郎、いじわるなドロンパ、しっかりもののP子、男勝りなU子。親友の正太、そして、ゴジラ、ハカセ、よっちゃん、小池さん…。キャラクターの性格は、この作品でしっかりと固められた。いわば、この作品こそが Best of Best、オバQワールドそのものである。なお、この頃のO次郎の体の色(服の色?)は、ピンクであった。

 再度のアニメ化に平行して、原作のオバQも「新オバケのQ太郎」とタイトルを一新して再開された。スケジュール的に忙しかった前作とは異なり、本作品は藤子・F・不二雄先生のみの執筆である。なお、この作品の特徴として、恋愛(?)関係の話の比率が非常に高い事(とはいえQ太郎とU子がらみの話だが)が挙げられる。

 アニメ、漫画もそこそこのヒットは飛ばすものの、前作のような大ブレイクには至らなかった。アニメの方は5クール、1 年と 3 ヶ月の間放映していた。アニメの新オバQの終了後、雑誌の連載も次々と終了。オバQはふたたびオバケの国へ帰っていった…。

 その後、1973 年の「ビッグコミック」 2 / 25 号に異色の『劇画・オバQ』が掲載、1976 年に「月刊少年ジャンプ」 5 月号に特別読切が掲載。

 そして、これ以降、「オバケのQ太郎」の新作が藤子・F・不二雄氏の手で描かれることはなかった…。

※以下、作成中。

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